2016年5月30日月曜日

デュイン方言考 ~敬語の消滅と挨拶の変化~


デュイン方言には敬語が存在しない。これはリパライン語を含むシアン語族においては特段別に珍しいことではない。しかしながら、リパラオネ語派リパラオネ諸語に含まれる言語と方言においては大体の言語はluを基とした敬語が存在している。これは古リヴァライン語やエタンセンス語、クワク方言においても存在している。だがしかし、デュイン方言には存在していないのである。

・ユーゴック語の影響を受けたデュイン方言
デュインに入植した外国人のうち非リパラオネ系で一番多かったのがユーゲ人であった。大体のユーゲ人は教育を受けて、リパライン語もある程度話せたが敬語の概念があまり受け入れられなかった。というのはユーゴック語には明確な敬語表現が存在し無いからである。丁寧で綺麗と表現される上流方言は存在しているが、しかしこれはスカルムレイや高級シャスティに限った口語変種であるため、一般民やそれほど上位と言うわけでもない入植ユーゲ人は喋らない。標準的なユーゲ人のユーゴック語には敬語が存在しないのである。これに影響を受けたデュイン方言は敬語表現の回数をどんどん減らしていた。クワク方言にも存在する敬語表現であったが全国でのユーゲ人リパライン語の影響を強く受けて唯一の敬語であるluはデュイン方言では消滅した。

・挨拶の変化
 デュイン方言の挨拶は多彩である。古理語から引き継いだ時間帯ごとの挨拶、ユーゴック語に影響を受けた挨拶、現代理語に影響を受けた挨拶など色々なものが存在している。

Salar novar
  一般的、現代理語のsalar(<salarua)から来ているが標準口語とは違い敬語が無いために、誰に対しても使える。

Dzarmuermercn
 ユーゴック語のjeemusnから来ているが全て理語の単語の要素(dzar-m-ue-r-merc-n)である。少し砕けた表現である。

La zu es vynut (la nukucol/nysiest/nukus) ja
 それぞれおはよう こんにちは こんばんわであるが、これはユーゴック語のHe je raz chor, usnから来ている表現である。南洋方言で主に使われている。北洋方言ではそれぞれxufirua(shuphapi), afirua(ahuphaphi), nufirua(nhuphaphi)と言う。

 

2016年5月26日木曜日

デュイン方言考 ~意思主格と非意思主格~

デュイン方言には他のリパライン語方言には存在しない意思主格と非意思主格が存在する。

・意思主格と非意思主格
それぞれ-'sと-'cを利用する。デュイン方言における与格は-'lに変わって、向格は古標準口語を起源とする-skiになっている。意思主格と非意思主格の根源はリナエスト語族の能格言語などを見るとシアン祖語やエタンセンス語に関係したものと思われる。外面から見るとリパライン語とは全く違う格の意味になってしまっているように見えるが、そもそも古標準口語では助格詞が古リパライン語から弱化し続け、-'cと-'lがioに同化しようとしていたと言う記録がある(Fafs'd larter lkurftless kranterl, 2013). そもそもの標準口語において-'cと-'lが混同され始めた時期にデュイン方言が形成され、標準口語では-'cと-'lの用法がそのまま曖昧になって格組みになったのに対してデュイン方言では-'lに与格が統一され、非意思主格の分裂に-'cが当てられるようになった。
意思主格と非意思主格はその主格を取る主語の対象が意思を持って行なったことなのか、それとも偶然に起こったのかということや対象がそもそも意思をもてるのかという事を表す。

・例文
動詞fankenに対して主語vyrle/meleerで「冬が過ぎる」と「隣人が去る」という文を作る時標準口語では次のようになる。
Vyrle fanken.
Meleer fanken.
どちらも格としては無標であるが、主格で区別はしないのである。デュイン方言では以下のようになる。
Vyrle'c fanken.
Meleer fanken.
以上のようにデュイン方言では無意思のvyrleの主格には-'cを使っている。このようにしてデュイン方言は標準口語よりも動詞の意味を固定する格組みを別の方向で発達させているとも言える。
ただ、この区別は文字表記上での区別で、音声上では-'sも-'cも同じ/s/でもはや第二世代以降のデュイン人についてはもう既に意思主格と非意思主格の区別は意識にも上がっていないのかもしれない。というのはデュインで方言理語教育を受けた人間でも意思・非意思の表記の使い分けを間違えるのである。もはや、-'sと-'cの使い分けというものはデュイン人にとっては伝統・慣例・慣習に過ぎないという段階である
ただし、デュイン北洋の地方ではこの使い分けが顕著に残り、格接辞が-'seu/-'ceuという風に区別されている。

デュイン方言考 ~概要~

リパライン語にはデュイン方言という方言がある。
デュイン方言はデュイン全体7億を超えるデュイン全体で喋られるリパライン語口語の変種である。デュイン方言は方言とはいうがユエスレオネ本土において話されるアル・シェユ方言より標準語と異なっている点が多い。かといって、ラネーメ・リパライン語やアイレン方言ほどの変化をしていないという丁度良い位の離れ方をしている。

デュイン方言の特徴としては「古い表現が残っていること」、「標準口語と違って敬語が無いこと」、「接置詞に格支配がある」というところである。

・デュイン方言の発達
デュイン方言はデュインへの入植が発生しなければ生まれなかった言語である。デュイン戦争が終結し、ユエスレオネのデュイン開拓により本土から低所得者のユエスレオネ人がデュイン入りした。他にもハタ王国から出稼ぎに来た低所得者や一攫千金を狙った資本家、それに追従してトイター教を守ろうとした宗教家などがデュインに流入することになった。
デュインでは第一次ユエスレオネ社会主義時代では開拓労働と呼ばれる粗悪な労働環境での重労働を主にした計画労働が敷かれており、共産党から出向させられた現地指導者によってそれが行なわれていた。現地指導者は大体クワクの出身であったため、DAPEまでに消滅したクワク方言を口語で主に話した。クワク方言はエタンセンス語やリヴァライン語に近い古理語という感じであり、標準口語を話す本土から来た低所得者はおろか、ユーゲ人などの非リパラオネ人系には通用しなかった。このために標準口語を基層にクワク方言の要素を吸収して行ったのがデュイン方言の始まりであった。
デュイン方言はクワク方言だけでなく、入植外国人のユーゲ人を中心に非リパラオネ人系の表現や単語を積極的に取り入れて行った。このため標準語よりユーゴック語起源の単語が多い。
デュイン方言の発達はショレゼスコによる第二次ユエスレオネ社会主義への突入によって落ち着いた。ショレゼスコによって現地指導者はデュインから撤退、各県の自治力が上がったためにそれぞれの民族語が重視されるようになったが、外国人系デュイン人二世以降の多くがデュイン方言を第一か第二言語として話すこと、デュイン入植者自身がデュイン方言が自分たちのアイデンティティであるとしたためにデュイン総合府を挙げてデュイン方言をの維持・記録を推進している。

・デュイン方言と社会
 デュイン総合府からはデュイン方言はデュイン全土で通用するリパライン語変種であるとの評価をしており、ユエスレオネ連邦理語学士院も同様の評価をしている。ユエスレオネ人から見るとデュイン方言というのは日本人の標準語に対する関西弁に近いものである。リパライン語話者の総数に食い込むほどの話者数を持つため、ユエスレオネ本土にいてもデュイン方言の話者と出会う事がよくあるが、普通本土ではデュイン方言ではなく標準口語で話している。ユエスレオネ人もデュイン人も方言に対して崩れた言葉、洗練されていない野粗な言葉と考える事は無く、逆に本土人は方言に対して憧れを持つほどである。デュイン人が本土でデュイン方言を話さないのは単純に効率が悪いからというだけの問題である。