2017年11月3日金曜日

1.2.1.1 Early traces of Dravidian words

カルドウェルとその他の学者はドラヴィダ語族のいくつかの固有語に対してギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語からの単語を参照して言及している。これらの信憑性は議論の対象とされている。少なくとも以下二つの例に関してはもっともらしくみえる。

(1) 希 oruza/oryza/orynda "米" と PD *war-inci > タミル. マラヤーラム.  テルグ. wari Pa. verci(Ⅰ) Gad. varci(Ⅰ) Gondi wanji "米" [DEDR 5265]
この例においてはタミル arisi(南ドラヴィダ祖語 *ariki)に関してはカルドウェルは次のように言及している。
古ペルシャ語 virinza skt. vrīhi- "rice" 非インド・ヨーロッパ語源はドラヴィダ語族からの借用年代決定においては問題を引き起こしている。(?)
(2) 希 ziggiberis/zingiberis "生姜"は南ドラヴィダ祖語の合成語名詞 *cinki-wér (PD * wér "根") > パーリ語 singi, singivera, skt. SrNgavera-; タミル語 マラヤーラム語におけるinyciは*cinkiの*c [>s >h> ] > Øと-kが前母音の前において軟子音化する規則に沿う。ギリシャ人地理学者プリニ(紀元後1世紀)とプトレマイオス(紀元後3世紀)に引用された南インドの地名の多数は、-our, -ouraで終わっているが、これはūr "街"(PD *ūr)である。
これは紀元前2000年あたりにアーリア人が入ってきたときに北西インドにドラヴィダ人がいたという確証である。リグヴェーダ時代のサンスクリットつまり紀元前1500年ごろの早期サンスクリットはすでに数十の語彙を借用していたことが知られている。例として、ulūkhala- "しっくい", kuNDa "穴を掘る", khála- "脱穀場", káNa- "一つ目の", mayūna "クジャク"などを1954年にエメノーがあげている。リグヴェーダ時代からのそり舌子音の導入はサンスクリット話者とドラヴィダ語族との接触によるものであるとされる。
ロシアのインド学者ニキータ=グーロフはリグヴェーダにおける80語ほどの単語がドラヴィダ語から来ているとした。(第一、第十またその他のマンダラの146の賛美詩に現れる)
例として、RV 1.33.3 vaila (sthána-) ‘open space’: PD ∗wayal ‘open space, field’
[5258], RV 10.15 kiyámbu ‘a water plant’: PD ∗keyampu (<∗kecampu) ‘Arum colacasia, yam’ [2004], RV 1.144 vrís ‘finger’: PD ∗wirinc- [5409], RV 1.71, 8.40 víLu ‘stronghold’: PD ∗wītu ‘house, abode, camp’ [5393], sīra ‘plough’: PD ∗c¯er, RV 8.77 kánuk : PD ∗kánikkay . ‘gift’ [1443] ‘T.Ya. ElizarenkovaはkáNukaは不明瞭な意味の単語であり、これも多分印欧語族に属さない語源であるとした。
グーロフはいくつかの固有名詞に関しても引用し、namuci, kīkaTa, paramagandaはドラヴィダ語族語源であるだろうとした。

TDL p.6 中段まで

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